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徳川家による大城。北陸道に睨みを利かす4重5階の雄大な天守閣。 |
越前 福井城(えちぜんのくに ふくいじょう)
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●創建年 |
慶長6年(1601年) |
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●築城者 |
結城秀康 |
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●歴代城主 |
松平氏 |
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●天守閣創建年 |
慶長年間(1601年頃) |
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●天守閣喪失年 |
寛文9年(1669年) 火災により喪失 |
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●天守閣全高 |
不明 |
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福井城は関が原合戦の後、徳川家康が 豊臣政権の重鎮、加賀前田家への抑えとするためにかって柴田勝家の居城であった 北の庄城の跡地を取り込み 拡充する形で築かせた大城郭である。
家康次男 結城秀康が 越前63万石の藩主として この城に君臨した。
天守台は二段の石垣で構成され下段は白壁塀を巡らした腰曲輪、上段に4層5階の天守閣が建つ天守台があった。天守閣を仰ぎ見る角度によっては 下段の白壁は第一層にも見え さながら5層6階の巨大天守のスケールを持っていた。各重に置かれた 大きな千鳥破風はこの天守閣の格式の高さと雄大さを主張した。各重に置かれた 大きな千鳥破風はこの天守閣の格式の高さと雄大さを主張した。
天守には脇櫓が付属し 三層の小天守も従えて 本丸周囲を長大な多聞櫓が巡っていた。小天守脇には福井の地名の由来となった「福の井」と呼ばれる井戸が残る。
この北陸屈指の大建築物も寛文9年(1669年)に焼失以降再建されず 三重の巽櫓がその代用となった。
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