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日本一の累々たる高石垣上にそびえ立つ 清楚、端麗な天守閣 |
讃岐 丸亀城(さぬきのくに まるがめじょう)
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●創建年 |
慶長2年(1597年)生駒親正により再築 万治3年(1660年)京極高和により刷新 |
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●築城者 |
生駒親正・京極高和 |
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●歴代城主 |
生駒氏17万6000石 山崎氏5万3000石 京極氏5万石 |
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●天守閣創建年 |
万治3年(1660年) |
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●天守閣喪失年 |
現存 |
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●天守閣全高 |
14.50m |
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生駒時代の天守閣は本丸中央に聳えていた、と言う。
現存する天守閣は万治3年、京極高知によるもので 350年間、日本一の高石垣の上から瀬戸内海を見渡していた。全高こそ14.5mと 備中松山城(11m)、弘前城(14.4m)、丸岡城(12.5m)を上回るが初層、6間×5間の平面規模は 床面積において現存天守閣中、最小規模であり かつて日本に存在した天守建築の中でも最もコンパクトな部類である。
城下から見上げる天守の姿は 三角錐の頂点を示すかのように 正面長手方向に最上層切妻を配し したがって建物の入母屋正面となる南北方向は 非常に薄っぺらく見える。
しかし最盛期にはこの天守閣は本丸全体を取り囲む多聞櫓、二重櫓群と一体化し 堂々たる威容を讃岐中原に屹立させていた。
この華奢で素朴な天守閣が350年の風雨に耐え 歴史の動乱をくぐり抜け 21世紀の現代にまで生き続けていることは 一種の奇跡、という他ない。
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