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端正・優美。日本海を背に異彩を放つ赤瓦の天守閣。 |
長門 萩 城(ながとのくに はぎじょう)
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●創建年 |
慶長9年(1604年) |
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●築城者 |
毛利輝元 |
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●歴代城主 |
毛利氏36万9000石 |
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●天守閣創建年 |
慶長13年(1608年) |
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●天守閣喪失年 |
明治7年(1874年) 破却 |
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●天守閣全高 |
21.0m |
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関が原合戦後 防長2カ国に追いやられた毛利輝元は辺境の地、長門 松本川河口の三角州 指月山に城地を定め日本海を背に厳重に防備を固めた大城塞の建築に取り掛かった。
慶長13年(1608年)には総塗り籠の漆喰壁 五層五階の優美な天守閣が出現した。
二層目の大入り母屋屋根の上に3階建ての櫓を載せた古式な望楼型天守だが均整がとれ 安定感のある威容は天守建築の一つの完成形、かつて存在した天守閣の中でも最も美しいもの、と評価されている。この美しい建物には 一時期 赤瓦で葺かれており窓、廻り縁、棟等は銅板で覆われ異彩を放っていた。
創建以来 270年の長きにわたり その威容を誇っていたが 惜しくも明治7年 落札、解体された。指月山山頂には二重櫓6棟が林立する詰めの丸が構築されかつての毛利の居城 広島城の宮殿的な有様とは全く異なる戦国山城に先祖返りした 戦闘的な構造であった。
打倒徳川の毛利家の怨念を象徴するような臨戦態勢の城と言える。
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