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諏訪湖の漣に影を落とす柿板葺きの古式ゆかしい端正な天守。 |
信濃 高島城(しなののくに たかしまじょう)
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●創建年 |
文禄元年(1592年) |
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●築城者 |
日根野高吉 |
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●歴代城主 |
日根野氏、諏訪氏 |
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●天守閣創建年 |
慶長3年(1598年) |
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●天守閣喪失年 |
明治8年(1875年) 破却 |
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●天守閣全高 |
約18m |
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豊臣系大名日根野高吉創建の高島城は関が原合戦翌年 旧領主諏訪氏が復帰し明治維新に至っている。
天守閣は日根野氏によって築かれたもので実に280年間、創建当初の形を保ち存在していた事になる。
一層目は7間半四方、二層目は5間四方、最上階は3間半四方の規模で入母屋破風、最上階の出窓風の切妻屋根など三層という小規模な天守の中に様々な意匠を盛り込みながらも 全体として古風で渋い味わいを醸し出す特異な建造物である。
屋根は諏訪盆地の寒さに耐え得る瓦がなかったためか柿(こけら)葺きであり創建された時代のトレンドであった最上階の回縁や高欄が省略されているのも諏訪地方の寒さが原因である、とされている。
数箇所に設けられた 白壁上の火燈窓は控えめながらも外観にアクセントを与えている。
明治8年に破却 昭和45年に鉄筋コンクリートで外観が復元されたが建物内の採光、外観のバランスを意識して 屋根仕上げ、窓の増加等 細部で異なる復元となった。
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