|
|
|
|
名橋 錦帯橋を見おろす山上に屹立する南蛮造り天守閣。 |
周防 岩國城(すおうのくに いわくにじょう)
|
|
|
|
|
|
|
|
|
●創建年 |
慶長13年(1608年) |
|
|
●築城者 |
吉川広家 |
|
|
●歴代城主 |
吉川氏3万石 |
|
|
●天守閣創建年 |
慶長13年(1608年) |
|
|
●天守閣喪失年 |
慶長20年(1615年) 破却 |
|
|
●天守閣全高 |
約22m |
|
|
|
|
|
|
関が原合戦後 減封の上 岩国に移された吉川広家が周防・安芸国境至近、錦川に面する天険の地 横山山頂に築いた要害が岩国城である。
南麓に居館、山上には本丸、二の丸、北の丸を配し 総石垣、要所に櫓を連ねた 防備厳重な堅城であった。
最高所に聳える天守閣は高さ8mの石垣上に15m×14mの1階平面規模を持ち四重にして六階。下層部より上層部が大きい特異な南蛮造りの意匠で 創建当時 最先端デザインであり小倉城、高松城、津山城等の意匠に影響を与えた。
岩国城の場合 最上階にとどまらず中途階である4階を下階より張り出す類例のない史上初の唐風天守閣として特筆に値する。
この個性溢れる天守閣も完成後わずか7年で 一国一城令によつて破却。短命に終わった幻の天守閣である。
|
|
|