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虚飾を廃した最新鋭の層塔式天守閣。端正・清楚な五層天守。 |
丹波 亀山城(たんばのくに かめやまじょう)
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●創建年 |
天正7年(1579年) |
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●築城者 |
明智光秀 |
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●歴代城主 |
徳川氏800万石 |
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●天守閣創建年 |
慶長15年(1610年) |
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●天守閣喪失年 |
明治5年以降 破却 |
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●天守閣全高 |
26.0m |
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丹波亀山城は織田信長による丹波地方支配の本拠地として 明智光秀により天正5年(1577年)頃築かれた。
慶長14年(1609年)頃 徳川家康の大阪城攻め包囲網の一つとして天下普請となり 現在の姿となった。その際 設計を託された藤堂高虎は 自身が造営した伊予・今治城天守閣を家康に献上、丹波亀山城天守とした、とされる。
今治城天守は当時最新鋭の工法であった層塔型天守の第一号である。破風を全くもたない清楚で気品のある姿であった。極めて細身で すらりと天空に聳え立つ姿は 他の城とかけはなれた貴婦人のような美しさ、新鮮さを放っていた。
この今治城-丹波亀山城天守閣の登場をきっかけとして 大入母屋屋根に望楼を載せた安土城、豊臣大阪城、姫路城に代表される重厚な望楼型天守から スタイリッシュで明快な構造体を持つ層塔型天守閣が 高層建築の普遍的形式となる。
天守建築に新しいトレンドを打ち立てたのは この丹波亀山城天守閣である。
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