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袴腰の板壁で覆われた 勇壮無骨、風格漂う古式天守閣。 |
伯耆 米子城(ほうきのくに よなごじょう)
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●創建年 |
天正19年(1591年)吉川広家により初築 慶長5年(1600年)中村一忠により再築 |
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●築城者 |
吉川氏・中村氏 |
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●歴代城主 |
中村氏17万5000石 池田氏32万石支藩荒尾氏 |
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●天守閣創建年 |
慶長6年(1601年) |
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●天守閣喪失年 |
明治13年(1880年) 破却 |
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●天守閣全高 |
21.00m |
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中の海に臨む湊山に四重天守閣を擁する近代城郭を築いたのは吉川広家だが未完の状態で転封となった。
新城主、中村一忠は 吉川氏築造の四重天守に並び立つ形で四重五階、古式な風格をたたえた望楼型天守を造営した。大小天守の規模は他城天守と比較してもそれほど大型とはいえないが 山頂に2基の天守が聳え立つ姿は圧巻であり米子を象徴する建造物であった。
4階と5階の間の屋根はなく 袴腰状の板壁で覆われた外観は全国的にも類例がない。1階、2階とも10間×8間。3階が7間×6間。4階、5階が3間×2間半で土台から棟まで高さ21mであった。
並び建つ小天守閣も大天守同様 望楼部分が下見板張り袴腰状であったが1階平面は歪んだ不等辺5角形で 石落としや出窓などの防御設備をまとっていたようである。
最池田氏支配の下 本城 鳥取城の支城としての地位に甘んじていた米子城だが 山頂に聳え立つ大小天守は鳥取城、松江城、萩城天守に劣らない山陰の貴重な天守建築であった。
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