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九州の門戸に聳え立つ秀麗清楚な南蛮造り天守閣。 |
筑前 小倉城(ちくぜんのくに こくらじょう)
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●創建年 |
慶長7年(1602年) |
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●築城者 |
細川忠興 |
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●歴代城主 |
細川氏・小笠原氏 |
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●天守閣創建年 |
慶長年間(1610年頃) |
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●天守閣喪失年 |
天保8年(1837年)火災により喪失 |
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●天守閣全高 |
23.0m |
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九州の表玄関に位置する要所、小倉城天守閣は五重でありながら四重目の屋根を省略し 代わりに最上階五重目を外に張り出して それを屋根代わりとする斬新ないでたちであった。
実質は五重天守閣でありながら 四重目の屋根がないので外観は四重天守閣。五重天守閣の建造を規制する傾向にあった徳川幕府に対しては 名目上四重天守閣として届け出ることができた。
創建当時、日本国内には前例のない珍しく 高貴な意匠は「唐造り」、後に「南蛮造り」と称され津山城、高松城の造作意匠にも大きな影響を与えた、とされる。
昭和34年再建の現天守閣は 比翼破風、唐破風、大入母屋などの装飾が派手に施されているが 天保8年に焼失した本来の天守閣は一切破風をもたない非常に潔い 明快なデザインの層塔型天守閣であったとされている。
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